| 人と裸で向き合える場所。肩書きも何も関係なくみんなが裸で集まって成長できるような空間。そんな場所を作りたかった。 |
|
|
| ◆1999年6月26日、博多の町にボクシングジムが誕生した。そこには、ボクシングジムと聞いてイメージするような血生臭さも、設備が整えられ来る人をみんな歓迎するような商業的な雰囲気もない。元世界チャンピオンの鬼塚勝也が目指したものは、これまでのボクシングジムとは全く違う独特な空間だった。「ホールは俺自身」と語る鬼塚勝也のホールにかける想いは、言葉では言い尽くせないものがある。ホールが完成した今、鬼塚勝也の「こだわり」で埋め尽くされたホールについて、鬼塚勝也にインタビューを試みた。 |
| 『俺はいつも自分の思うように、自分の求めるもののために戦ってきました。自分の求める生き方をすることで、人がそれを見て何かを感じ、今まで気づかなかったことに気づいたり、喜べなかったことに喜んだりできたら、俺にとってこれ以上の生き方はありません。そういう空間を作りたいと思った時に、今自分にできることはジムを作ることだったんです。』 |
| ◆鬼塚勝也は場所を博多に決め、具体的に物件探しに入った。50以上もの物件を渡り歩いたが、なかなか「これだ」と思う建物に巡りあわない。こうして、博多中の物件をほとんど見つくしたと思われる頃、不動産業者が申し分けなさそうに紹介したのは、築40年以上は経っている、古い建物だった。この建物を見た瞬間・・・ 『これだと思いました。不動産屋はあまりにボロい物件なので、リストにも入れてなかったみたいですが、俺にとっては宝石の原石に見えました。最後の最後に出会ったこの物件を見て、改めて焦らずに諦めなくてよかったとつくづく思いました』 |
![]() |
![]() |
![]() |
◆99年4月、ビルの改装に取り掛かりはじめる。古い建物だけあり、改装は決して楽ではない。けれど鬼塚勝也は、人任せにすることはしなかった。 『自分の空間は自分の手で作りたかった』 |
| ◆改装を始めると、想像以上に困難の連続だった。設計図も計画書もなく、どんなふうに作業を進めるかはその日その日で鬼塚勝也が決めていく。一旦出来上がった部分も、納得できないところがあれば取り壊して一からやり直し。思うように作業がはかどらず時間だけが過ぎていく毎日だった。 |
| 『自分の手で作ると言っても正直すべて初めてのことで戸惑い、細かい所が分からず、どん底に突き落とされる毎日でした。そんな中、俺を救ってくれたのは練習生たちでした。毎日イメージが変わる俺のやり方に嫌な顔ひとつせず、付き合った練習生たち。このホールはそいつらのおかげで作れたと思っています』 | ![]() |
![]() |
| ◆ホールには土足で踏み入れさせない。それは、床板一つにも妥協しなかった鬼塚勝也の想いが込められているからだ。床板は熊本まで行き、焼き付けてきたものである。鬼塚勝也はどんなに細かい部分にも手を抜こうとはしなかった。ホールを作る上でこだわったのは・・・ | ||
![]() |
![]() |
『すべてです。このホールは俺自身です。戦う場所を妥協して作っていたらそういう空間になってしまう』 |
| ◆人目につく部分だけでなく細部にまでこだわったことがはっきりと表れているのは、トイレである。ホールのトイレは、ホール全体の神聖な雰囲気を損ねることなくデザインされており、生活感や水周りにつきもののうっとおしさというものがまるで感じられない。 |
| 『トイレは生活感のない一番きれいな場所にしたかったんですが、ひどい状態だったので一番頭を悩ませました。僕にとってトイレはトレーニングの場所だと思っています。トイレは人に見られる場所ではありません。真の自分が出る場所です。古くなるのは仕方がないですが、汚くなるのはだめだと思う』 |
After
|
![]() | |
Before
|
![]() | ||
![]() |
◆ホールの外観は黒、主な練習場所となる1階部分はピンク、2階部分は緑色で塗られている。デザイナーの顔も持つ鬼塚勝也は、色が与えるイメージで何を表現しようとしたのか。 『初めは外観をあったかみのあるピンクにしようかと思っていたんですが、ホールの方針として、入るときだけいい顔をして、入ってしまったらほったらかしというよりも、ちゃんとした気持ちで入って来た人を大事にしたいという思いから、外観はちょっと重たい黒にして、中をあったかいピンクにしました。2階と3階部分は何度も塗り直し、最後はあまったペンキを混ぜ合わせて作ったオリジナルな色です』 |
![]() |
![]() |
1st Floor![]() |
2nd Floor![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
◆一見、画廊かデザイナーのアトリエにいるような錯覚にすら陥るホール。絵を描くのは子供の頃から好きだったとのことだが、引退後に落書き程度の作品からはじめて、今では作品の数は数十点になる。 『絵を描くのは好きですが、描き出すとそれだけにはまってしまうのであまり描けない』 |
![]() |
◆数々の絵と並んで目立つのは、グローブなどのオブジェである。はじめてグローブを手にした日から、鬼塚勝也はグローブを大切に扱ってきた。かなり使い込まれ、年月が経っているものもあるが、それほど古びた感じがしないのは、鬼塚勝也がいかにグローブを大切に扱ってきたかの表れである。 『古くなるのと汚くなるのは違います。俺にとってグローブは単なる道具じゃなくて、自分を唯一守ってくれるもの、。そんな大事なものなのでちゃんと意味をもたせたい』 |
![]() |
| ◆1Fフロアには、本格的なDJブースが設置されている。ジムを開こうと考えた時に、真っ先に思ったのが「音楽のある空間」にしたいということだった。鬼塚勝也はこれまで音楽なしでトレーニングをしたことは一度もないという。鬼塚勝也にとって音楽とは・・・ 『ボクサーにとって欠かすことのできないものだと思います。音楽によって幅が膨らんだ部分は大きいです』 |
![]() |
![]() |
![]() |
◆ホールに足を踏み入れると、入り口からまっすぐ正面に見えるのは、壁一面を占める宗教画である。その他にも聖母マリア像や、BEAR
ONE'S CROSS(己の十字架を背負う)などの聖句もあちこちに散りばめられている。 『自分はクリスチャンではないのですが、このホールは人が自分自身と向き合えて、そして笑顔で帰れるような南米の教会や集会所みたいなものにしたかった。だから、神聖なイメージと包みこまれるような空間作りのためです。十字架に関しては、ちゃんと自分を背負いましょうというか、求めるもののために払う犠牲に負けるなという自分への克つでもあります』 |
| ◆ホールのオープンまで残り1ヶ月を切ると、鬼塚勝也は毎晩ホールに泊り込み、ほとんど寝ないで最後の仕上げに追われた。6月26日、オープニングパーティには100人以上の人が詰めかけた。自分のすべてをかけたSPANKY・K
SACRED BOXING HALLの幕開けである。外は夜通し激しい雨が降り続いていたが、それはまるで、ホール全体が洗礼を受けているかのように見えた。 『6月26日、それは試合みたいなもんでした。勝敗に関しては、どれだけ満足いくものが出来たか、まあ、最後まで段取りの悪さや不器用な挨拶でしたが、自分としては自分の力や協力してくれた仲間たちでここまで作れたこと、戸惑いや迷いが多かったけど、いろいろなことを教えてもらえるいい空間ができたと思います』 |
![]() Go as far as you can see, and when you get there you will see further. |